前回の続き
こんにちは関山です。
前回ウチで使っているカメラを紹介しつつ、最後に「ポスト写真表現とは?」ということで話を締めました。
以下僕が思うポスト写真表現について。
の前に注意点2つ。
①「ファッションフォトの文脈において」
という前置きをさせていただきます。
芸術や報道写真においては、批評や歴史背景の視座が必要となるので、それは省きます。
②相当端折って書いていますが、メンドくさい話なのでそういった話が苦手な方はタブ閉じ推奨。
さて、軽くファッションフォトの流れを現代から過去に遡っておきましょう。
ゼロ年代から10年代初頭に関しては、ほぼテリーリチャードソンに代表されるフラッシュで飛ばしたパキッとした写真がファッションフォト界を席捲していたかと思います。
90年代はニックナイトのデジタルな質感。
さらに前にはブルース・ウェバー。ギイ・ブルダン、ヘルムート・ニュートン。リチャード・アヴェドン。ウィリアム・クラインなどなど。
それはそれは超大御所たちがいろいろとやり尽くしているわけです。
そんなことで、誤解を恐れず述べると、ファッションフォトにおける全く新しい表現のフィールドはほぼ無いと言っていいでしょう。
では今後新たな写真表現はどうなるのか?というと、過去の作家の手法を学び、模倣しながら「今の若い人が見て新しいもの」を、作っていくことになります。
それに関して鈴木親さんのこちらのインタビューが詳しいです。
http://fashionpost.jp/archives/posts/24393
仮に全く新しい表現がほぼ枯渇しているとして、今後の重要なスキルとしては「アートディレクター的な能力」があげられると思います。
扱うイメージに対して史観的な知識ベースを持っているか。またそれを上手く編集し自身の色を主張できるセンスがあるか。
コンテンツに対して情報のコンテキストを乗せるスキルと言ってもいいかもしれません。
さて、結論です。
ポスト写真表現などといったものはすでに枯渇して存在しません。
ポスト写真表現=「編集能力」と言い換えてもいいかもしれません。
以上。(ぶん投げて終わり)