こんにちは関山です。





穏やかではないタイトルをつけたわけですが。






今朝ツイッターを見ていたら考えさせられるツイートがあったのでそれについて。








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批評家で思想家の東浩紀氏のツイート。





うーむ。なるほど。





僕自身市場であまり評価されない(ビジネス的にスケールしにくい)領域に惹かれるのもあり、こういった危惧は以前からもっていました。



その反面、突っ込んだこともやりたいんだけど、それだけだと食っていけないんだよなー。というジレンマも感じていました。



独立して以来、一貫してマーケティングを重視してやってきました。それはまず先立つもの(売上)がないと存続していけないからです。





前回ブログでも書きましたが、最近は経営がそれなりに安定してきて今後はよりクリエイティブな方面も攻めてやってきたいと思っています。


そうなった時に問題になってくるのが東氏がツイートしたような内容なんですよね。





突き詰めた文化や教養、アーティスティックな表現っていうのは世間一般の感覚からすると「難しい」とか「役に立たない」とか「興味がない」(と思われている)んですね。


ある特定の文化なり教養を深く掘り下げて考えることは大多数の人にとって普通に生活するうえであまり意味がないわけです。


ほとんどの人には関係ないし興味を持てない。消費する層があまりいなくて市場が小さい。


だから最近ではわかりやすくあまり頭を使わなくても理解できる本やブログなんかが世の中に溢れているのです。





このことは社会の仕組みで考えるとそうならざるをえない事実であり、資本主義社会成立時点から現在に至るまでルールは変わっていません。


マスが小さい・小さくなっていく=対価を払う層がいない・市場で評価されない→売り上げが立たない→先細っていく。





「人間の本質がそうである以上仕方ない」と東氏は書かれていますが、市場原理のなりゆきで考えると仕方ないのかもしれません。




でも、もし社会システムが変わって、ベーシックインカムなり、お金を全く気にしなくていいような社会システムになったらどうだろうか。


グータラ暮らして飽きたら、時間やお金の制約もなく暇だから教養や文化を掘り下げてやってみようと思うかもしれない。


世の中には様々な文化やコンテンツがありますが、評価されるかどうかは社会システムありきでの相対的な基準でしかないのかも。とも思います。


今価値があるとされているものも、システムが変われば全く価値のないものになりうるし、その逆も然りだということ。




近い将来お金を気にしなくてもいい社会が到来するかどうかはわかりませんが、とりあえず僕が生きている間の大部分は現状の社会システムのままでしょう。



そういった中で、自分がやりたいことや信じるものを仕事にして、市場規模が小さかったり、今後小さくなっていくであろうと予測される場合、マーケットでどう評価されて食っていくか。という問題は避けて通れない。





美容業界の変遷で考えてみると、完全になくなることはないでしょうけど徐々に衰退はしてきているんですね。


統計見ても市場規模は年々小さくなってきている。




そんな中でのホットペッパービューティーの登場。


ホットペッパービューティー以降、市場の流れが劇的に変わりました。あれの登場によって、業界全体の市場規模が年々縮小している中、さらに広告費のコスト分利益率が下がっていることは計算しなくてもわかります。




そうするとやっていけないところは淘汰されていくわけですが、それは市場原理で考えれば当然の話です。



ホットペッパーを悪とする風潮もありますが、むしろホットペッパー以前のほうが業界のマーケットは不健全だったと考えるほうが正しい。


 


それまでは原宿渋谷界隈のカット料金は一律6000円+TAXといった感じでした。


これは取り決めがあったわけではなく、なんとなくみんなそうしているからウチも。という感じだった。



でもホットペッパー登場以降、場所に関わらず多様な料金設定になった。


今までが、業界のなりゆきでそういった聖域(利権)を設定して、マーケットを無視して利益を享受してきただけ。


現在の姿のほうがむしろ市場や消費者にとって健全なのです。




サロン側がホットペッパーを使う使わないは自由です。


ホットペッパービューティーの登場によって、プライス設定も含め選択肢の幅が増え、情報もオープンになり、以前だと成功できなかったであろうサロンが成功できるようになったのも事実。


市場原理によって、利権の上で商売してきたサロンから、より消費者に支持されるサロンに権限が移っただけの話。


それを自分たちの立ち位置が不利になったからと言ってホットペッパーのビジネスモデルが業界を壊すとかいう議論はナンセンスです。




しかし同時に、その流れによって、昔みたいにめちゃくちゃ個性的なサロンというのもなくなった。


経営者のマネジメントの問題もあるかもしれませんが、売り上げが立たないから潰れていってしまった。


90年代の勢いのある美容業界を見て育った僕からするとやはり寂しく思うし、そういったところに東氏がツイートした問題のジレンマがあると思います。


全て経済的合理性に従って多様性が失われるのは是か非か。











文化・教養領域と市場原理を考える上でもう一つ重要な点が、市場の経済的評価軸を軽視して一部の価値観に傾倒している人の場合「自分が信じる領域を過大評価」してしまう傾向にある。ということです。






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こちら哲学者の千葉雅也氏のツイート。




これもそのとおりだな。と。







現状の社会システムを主体として考えた場合、自分の立ち位置を見誤らないための重要な視点が千葉氏のツイートしたようなことを(別の視点で)理解しているか否かだと思うんですね。




自分がやっていることが「偉いことをしている」と思ってしまう危うさを内包しているということを理解しつつ、合理性に収斂する力を持った社会とどう折り合いをつけるか。




自分がやりたいことを思いっきりやって、たいして市場で評価されなくても、それを受け入れる客観性を前提条件として有しているか否か。






これは政治の領域でも言えることでしょう。




自分たちが正しいのに市場(社会)が認めてくれない。の一点張りで、リアリティをもって現状を分析することなく対案を示さないから負け続けるのです。




例えば市場における対案とは「マーケティング」や「ブランディング」などの市場優位性を向上させるための一連の考え方であり、政治領域における対案とは「広く社会的に納得できる着地点を定義する」ということでしょうか。




自分の信じる領域にコミットしている当人は「社会のために正しいことをやってるんだ」とか「こんなに難しいことを考えている文化的な俺は偉いんだ」という感覚に陥りやすいのですが、社会のシステムが資本主義や民主主義である以上、基本的に数字の力には勝てない。





美容師でも、勘違いしちゃうことってあると思うんです。自分のカットテクニックがめっちゃ凄い!とかデザインがめっちゃイケてる!と思い込んで、アヴァンギャルドなカットをやってみて、確かにカットはうまいのかもしれないけど市場ではまったく評価されない。みたいな。(最近はあまりないか)



美容師コンテストなんかもわかりやすい例ですね。


確かにデザインはすごいんだけど街は歩けない。みたいな。



それって僕らの業界だけでなく、建築とか写真とかファッションとか音楽でも、文化的側面を織り込む業界では少なからずあるんじゃないでしょうか。





別にそれが悪いと言っているわけではありません。


挑戦をすることによって、新しい領域が開けるかもしれないし、いままでそうやって発展してきた。


その中で社会の価値観を覆してきた先人たちがたくさんいるわけです。


そういった大小様々な革命が社会を変え、文化の基盤を作ってきた。


ただし、今まで散々やり尽くされてきて、フロンティアがほぼ枯渇している以上、今後は文化的挑戦による経済ベースでの発展機会は減っていくでしょう。



それは仕方のないことです。


問題なのは一つの価値観だけを盲信したり、評価されないことに対して社会に憤りを感じたりすることです。


 



そういった考え方や感情は本人にとっても社会にとっても危険なものなので、前提を自覚した上でそれでもやりたいかどうか。


経済的に負け続ける確率のほうが高いことを理解しているかどうか。


ただし、リスクの対価として自分がやりたいことを思いっきりやりながら、社会を変えることができるかもしれない。



今後文化領域を推してビジネスをやっていくためにはそういった気概が必要なのかもしれません。









最後に。



最近では特に、教養はビジネスで役に立たないとか、反知性主義によって文化が衰退するという議論もあるわけですが、僕自身多少リベラルアーツをかじってみて、私生活における「個人的趣味としての思索」としてだけでなく、仕事するうえで文化的バックグラウンドや教養はものすごく「役に立つ」と思っています。




現在ヘアサロンを運営していて、ミーティングや飲みの席、ブログなんかでトップとして自分の考えを伝えることも多い。


その中でクリティカルな発言をし、スタッフを鼓舞しマネジメントするために教養や文化に造詣があるというのは重要な資質だと思っています。




クリティカルとはファイナルファンタジーでのクリティカルヒットやドラゴンクエストの会心の一撃みたいなものです。


重要な言葉を発する機会は組織を運営していく上で要所要所で必要になってきます。



クリティカルには「批評的な」という意味も含まれています。




批評的な視点を持つためには教養は必須です。



教養や文化的素養があるからこそ様々な角度から物事をみて、言葉を編み出し発することができるようになる。


結果、人をひきつけたり鼓舞していくことができる。


ちょっと学んだからといって明日から仕事上ですぐに効果を実感できるわけではないかもしれません。


しかし、素晴らしい企業文化を作るためや、長期的な人間関係を築くうえでも、これ以上効果のある領域はないと思っています。





長くなったのでこれくらいに。







関山