2018/12/31 猫とバスキアとバロウズ
大晦日。やることもないし久しぶりに映画でも観ようと思いTOHOシネマのホームページを覗いてみた。
レディーガガ主演の映画が気になって、予告編を見た。
やはりレディーガガはレディーガガにしか見えなくて、後悔するような気がして止めた。席もほとんど埋まっていたし。
12月の繁忙期が終わった直後で疲れていた。何も考えたくない。
【寝ることなくエンディングまで運んでくれて、チケット代をドブに捨てない確信を持てる映画】
探していたのはそういった映画だ。予告編を観て品定めするが、どれもピンとこない。
メジャーな映画館じゃない方がいいのかもしれない。UPLINKのホームページを見ると31日は営業していなかった。
なるほど、ミニシアターらしい。
恵比寿ガーデンシネマのスケジュールも覗いてみた。気になる作品が一つだけあった。
「バスキア、10代最後のとき」
ドキュメンタリー映画。
僕はバスキアについて名前と作風くらいは知っていても特に語るべき言葉を知らない。
有名なアパレルECの社長が50億だか100億だかでバスキアの作品を数点買ったニュースは知ってる。
彼はあの女優に向かって雄弁にバスキアの素晴らしさを語っているのだろうか。
この映画を観ることにした。席もガラガラだし。
バスキアが生きた70年代後半〜80年代のNYは相当荒れていたようだ。
ジム・ジャームッシュ、パトリシアフィールド。同時代を駆け抜けた文化人がインタビューに出てきた。
もちろん当時アートシーンの帝王はアンディ・ウォーホル。
ドラッグについても。全て、ではない。バスキア自身オーバードーズで亡くなっている。
あの時代はドラッグ・マリファナ。トリップがアーティストにとって重要だった。
バスキアの作品は画なのか?詩なのか?
インスタレーションもある。服にペイントして売っていたこともあった。
アート、音楽、グラフィティー、アパレル。様々なジャンルをクロスオーバーする。
もちろんウォーホルから影響を受けているだろうし、垣根を作らないのは古くはダビンチやコルビジェのようでもある。
劇中ウィリアム・バロウズについて言及されていた。
バスキアは多くの影響をバロウズから受けていた。というか同時代のアーティストの中でバロウズはバイブルだったようだ。
以前ブログでアメリカ文学について触れたが、自分自身バロウズを読んでいなかったことを後悔した。
若い頃、主にブックオフの100円コーナーを練り歩いてきた僕は、ついに100円のウィリアム・バロウズと出会うことなく現在まで来てしまった。
大人になった今は正規の値段でも買えるはずだ。
その足で代官山蔦屋書店に向かった。
しばらく訪れていなかったが棚の構成はおおよそ頭に入っている。すぐにビートニクのコーナーを見つけた。
ケルアック、ギンズバーグ。なぜかバロウズは一冊もなかった。 人気があるのか。無いのか。それとも忘れ去られたのか。
文庫コーナーを丹念に掘り返せばあるのかもしれない。でも次の予定もあったので止めた。
本棚を漁ることは僕にとってもうそんなに情熱を燃やせることではないらしい。
でもあの頃の情熱が今の自分を形成した重要な要素だと信じたい。
その後旧友と会って飲んだ。以前は月に一度は会う仲だったけど、最近は2ヶ月に一度くらいにペースが落ちた。お互いの近況報告以外、特に話すことはもう無い。
とても素晴らしい関係だと思う。
帰宅し、那須川vsメイウェザーを待つ。
試合は猫をかまっている間に決着がついていた。
まだ日を跨いでいなかった。酒が入って身体も重く、横になりたかったのでNET FLIXで映画を観ることにした。
PCを90度に開いて横に立てると手を一切使わず寝ながら動画が観れる。スマホにはない特別な機能だ。
昼のバスキアを引きずったのか社会派映画を選んだ。
猫が腕の中にいて幸せを感じた。寝顔が可愛くて映画のことはもうどうでもよくなっていった。
PCを閉じて一緒に寝た。
関山