こんばんは関山です。




年末はなぜか文章を書きたくなる現象の続き。







今回はお金借りることとか、なんのために会社やってんのかな?ってお話。






今朝、日本政策金融公庫に行ってきました。



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「日本政策金融公庫」とは一般の人には聞きなれない言葉でしょう。



簡単に説明すると、これから起業を考えている多くの人が最初に頭を下げに行くことになる銀行。



僕も独立の際、お世話になりました。


当時の詳細はこちら





政策金融公庫からは、3度目の借り入れ。


会社は成長している。返済実績も十分。ということで話はスムーズに。





独立する前の僕にとって【銀行=ATM】って認識しかなかった。

自分の人生において、スーツ着て、頭下げて、銀行にお金を借りに行くことになるなんて想像もしてなかった。


今では、借入申込書を書き、事業計画書を書き、銀行の方と面談し、数千万の借金をする。





大きな額の借金をすることに対して怖さはあるけど、やっぱり慣れってあるわけで。

独立当初は、大きな額の借入金が振り込まれたら、恐怖感と同時に自分が強くなったような気がして。

会社の業績が伸びて通帳にお金が増えると、さらに高揚感があった。


でも、その感覚はすでにない。


いい意味でも悪い意味でも、お金は通帳上の数字の動きでしかなくなった。








【拡大すること=問題が増えること】




事業を伸ばすために、資金調達をすることは社長の重要なお仕事。

デッドでもエクイティでも、資金調達をすることは、会社を大きくするための必要条件。

 


僕は、考えることが好きだし、頭の中で空想したイメージをカタチにすることが好きだ。

だから銀行からお金を借りる。借りて、やりたいことを実現しにいく。







同時にリスクを抱えることにもなる。







会社を成長させることは難しい。悩みを伴う。

常に問題が発生し、問題を解決してる途中でまた別の問題が発生する。

会社が大きくなればなるほど、困難な状況は増える。



様々な問題があるが、多くが「人」にまつわる問題だ。

パーフェクトな解決策など、簡単に見つかるわけがない。


問題が発生するたびに、合理的に解決するための仕組みを模索する。

仕組み化で、うまく処理できる領域もある。

でも、ほとんどがそうもいかない。


悪いことに、仕組み化を徹底すればするほど組織は硬直化する。

自由がなくなり、古くなり、ダサくなってく。







【どこまでやったら気が済むのか?】




「起業することはハイリスク・ハイリターン」だと言われる。


そのとおりだ。


成功する保証は何一つない。

リターンも多いとは限らない。





借金をすることには慣れた。

リスクを負うことにも慣れた、が。

ふと、「どこまでやったら気が済むのだろうか?」と思う。





「ゴールのないマラソンを走ることほど辛いものはない」

スタッフにもそう伝えてる。

だから、社内の様々なモノゴトを合理化・数値化してきた。


抽象的な事象を明確化してゴールを設定する。

ゴールを設定すればプロセスもはっきりしてくる。

ゴールがあれば人は走れる。



そう思ってやってきた。

実際それで、それなりの結果を出してきた。



しかし、会社の成長・拡大に到達点はない。

努力に対する結果は存在するが、ゴールはない。

 

 

「金銭的欲求?」

「権力欲?」

「自己実現?」




「金銭的欲求」に重きを置く人は多い。

僕個人として、会社が大きくなることによる金銭的な見返りで、満足できる人間なのであればハッピーだ。

でも、現時点ですでにわかっていることだが、それはあまり本質的解決にならないようだ。



「権力欲」偉そうに振る舞いたいとは思わない。褒められるのも苦手だ。


「自己実現」そんな気もする。でもなにか虚しい。








己の内側に存在意義を見出せないのであれば、他者に見出したらどうか?



会社の存在意義は




「スタッフの幸せのため」「社会の幸せのため」

  


素晴らしい価値観だ。



でも、僕はそういったガラではない。

確信を持って言えるが、本質的にそう思っていない。


人生に意味を与える条件は、一人一人固有のものだと思っている。僕がどうにかできることではない。

会社が提供するものでもない。他の誰かが定義するものでもない。自分で見出すものだ。


また、僕自身、社会全体の幸せがどうこうと、気にかけられるほどの器でもない。余裕もない。






「リスクを背負って会社を大きくする」という命題に限定するならば。

挑戦することから得られる意味や喜びは、基本的に自分自身の中に見出さなければならない。

 

 

同意や共感を求めるものではない。


自分の中で、己の能力に挑戦し、どう納得するか。



決めるのは自分自身というだけ。

 

はじめからゴールラインなどない。

挑戦しようとする行為そのものがゴールなのだから。








書いていて重くなってしまった。(去年もそうだった。年末だからゆるして)



なんだかんだ、人生で関わることはないと思ってた状況や、関わることはないと思っていた人と会う機会が、自分自身を成長させてきた。

特に、独立してからの4年は。




もし、同じ場所、似たような属性の人としか会わない人生だったら、自分の価値観はまったく別のモノになっていたでしょう。

人格は固定され、似たような関係性の中、それなりに満足していたかもしれない。




知らなかった世界を知ること。関わる予定のなかった人と会うこと。大きなリスクを背負うこと。

おおよそ人生で想像しなかった状況に引き込まれていく。





人生一度きりだから、オレはそれでいいや。


そうやって生きよう。








そんなクソめんどくさいことを今日、北千住に向かう電車の中で考えていたとさ。




関山