世はコロナの影響で完全自粛ムード。



どうすることもできないから、こんな時は家で本読んだりNetflix見るしかないよね。



ということで、オススメアニメをご紹介。



Netflixで最近ハマってる『ドロヘドロ』




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このマンガの存在を知ったのは16年くらい前。



まだ僕がアシスタント1年目とか。それくらいの時。



今日は東京→札幌への移動日


移動の合間に、アシスタント時代の話と絡めてドロヘドロについて書こうか。









【僕のアシスタント時代】




美容師駆け出しの頃。


僕の師匠は、67つ歳上の女性で、とんでもなく仕事ができた。



業界でも名の知られた人物で、売上は常にトップ。


仕事に厳しく、ズバ抜けたファッションセンスがあり、ヘアデザインに世界観があって。


そして、ありえないくらいキレイな人だった。





スタイリストに昇格するまで、3年くらい彼女のメインアシスタントを努めた。


僕は決して出来のいい美容師ではなかった。


プライドが高く、生意気で、扱いにくいワリに能力は高くない。



でもなぜか、師匠にはすごく可愛がってもらった。



通常、師匠と弟子、先輩・後輩の関係は一定の距離があるものだが、お互い距離が近かったし、一緒にいて楽しかった。


正直、あまり怒られた記憶がない。



いや、そういえば一度強く怒られた事があった。


朝コンビニに行って朝礼に遅刻した時だ。



ナゼあの時あんなに強く怒られたのかは未だにわからない。


もっと別の領域で怒られて然るべきシーンはあったはずなのに、何故かコンビニからの朝礼遅刻でものすごく怒られた記憶がある。


それからしばらくは朝礼前にコンビニに行くことは控えた。




とにかく。美しく、知性があり、カリスマ性を持った人だった。


一方で、どこかヌケたところがあって、可愛く思える人でもあった。









【MHzとドロヘドロ】




師匠の顧客には様々なクリエイターがいた。



・ミュージシャン


・編集者


・デザイナー


・フォトグラファー


・アートディレクター




その中にインデペンデントマガジンの編集長がいた。名前は「メチクロ」


本名は知らない。



発行していたのはMHz (メガヘルツ)という雑誌。


 


 


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まだ世に知れ渡っていないコアな漫画を紹介する雑誌だった。



師匠のアシスタントだった僕はメチクロさんからMHz創刊号を一冊いただいた。





MHz内で特集されていたマンガで、僕が気になった作品は



林田 球「ドロヘドロ」


二瓶 勉「バイオメガ」


真鍋 昌平「闇金ウシジマくん」



この3作品だったと記憶している。



とにかくMHzは内容の濃さがヤバかった。



当時僕は「オレ色んなこと知ってるぜ」系のサブカルを拗らせたクソガキだったが、「知らない世界がまだまだこの世にある」という事を知った。



さっそく原著を漁りに書店に向かった。


3作品全部欲しかったけど、お金がない。



手にしたのは「闇金ウシジマくん」


理由は、ストーリーにリアリティがあって、内容もセンセーショナルで面白かったから。



「闇金ウシジマくん」は当時まだ刊行されたばかりでマイナーだったが、その後売れまくった。



「ドロヘドロ」と「バイオメガ」はさほどメジャーにはなれなかった。けれど、コアなファンを獲得しながらその後も淡々と続く。



あれから16年。すっかり忘れ去っていたが、ようやくドロヘドロに辿り着いた。










【なぜ、ドロヘドロは優れた作品か?】




Netflixで16年越しにドロヘドロと再会した。


 


端的に。素晴らしいと感じた。



ナゼこの作品が優れているのか?



林田球は藝大出身である。そして驚くことに女性である。


圧倒的な画力で描かれる世界観や描写が美しいのはその通り。



でも、ストーリーはデタラメで、無軌道。



【とある事件に巻き込まれてアタマがワニになってしまった記憶喪失の男が主人公】


 


 


そんな設定、誰が共感するだろうか?








この作品の優れているところは別にある。



それは、暴力や死を自覚的に扱っていながら、本来そこに発生すべき感情が欠落していることだ。



近しい人が戦闘で血まみれになったり死んだりするのに、ちっともネガティブさがない。


シリアスになるタイミングはある。なのに、話の流れの中で、あっという間にどうでもよくなってしまうのである。



性的な描写も誇張されているのにエロさが一切ない。



例えば主人公の一人、二階堂は巨乳だが、あのキャラにエロさを感じるのは一部のマニアだけだろう。



観ればわかる。ドロヘドロの世界では、【通常そこにあるべき】様々な情動が大きく欠如しているのだ。










【なんで今頃再評価?】




「ドロヘドロ」


「バイオメガ」


「闇金ウシジマくん」


 


 


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あの当時(2004年~2006年頃)自覚的な「暴力」や「死」がコンテンツには求められていて、僕自身そういった作品を好んで漁っていた。



この3作品の中で、「闇金ウシジマ君」がメジャーに向かうのも当然だと思う。


だって1番物語がハッキリしていて、エグいから。


(※バイオメガは今回触れないけどマジでヤバイ。あの世界観の作り込みで登場人物のセリフがほとんどないんだから。wiki見ればそのヤバさがわかる。でも絶対にメジャーにはなれない。そんな作品)



では、今はどうだろうか?


ドロヘドロはNetflixで好評を博してる。


ナゼ、今ごろ評価された?









【刺激的なコンテンツの限界。別の視座】




僕が考える理由はこうだ。



当時と違って、今はネットを漁れば、アルカイダの首切りから無修正エロ動画までなんでも見れる。




コンテンツの世界で、暴力・性・死は変わらず求められるが、リアルすぎるのはもうお腹いっぱいなのである。




僕自身いつからかリアリティある「死」や「暴力」の描写を見たいとは思わなくなっていった。


むしろダサいと感じる。







映画監督、園子温の作品を観た事がある人は多いだろう。


 


「冷たい熱帯魚」とか「愛なき森で叫べ」とか。


 


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エゲツない性描写があり、血しぶきが飛び、人が死ぬ。


それはそれはグチャグチャである。


一方で、明らかに作為的でもある。




社会学者の宮台真司は園子温の作品を「ディオニソス的悲喜劇」と評している。



悲劇であり喜劇。


悲劇を悲劇のまま描ききる作品はあるが、現代の視聴者にとって、喉元にナイフを突きつけるようなリアリティは、すでに「重い」のである。



そこに喜劇的な視座を差し込むことで、「暴力」や「死」が通常の見え方から「ズレる」


ズラすことで、それが「物語」であるということをはっきりと受け手に認識させる。



デフォルメされた暴力や死は、己の精神の延長ではなく、分断された一つの物語として消費される。


物語にのめり込むのではなく、見る側は宙ぶらりんに浮かされたままの格好だ。


この距離感が今のコンテンツ市場の売れ筋であり、本丸である。




ドロヘドロにも同様の視座を感じる。作家が意図せずとも。


これが、僕がドロヘドロを優れた作品だと感じる理由だ。





クソ意識高い文章になっちゃった。


サブスク全盛になったから、コンテンツはより流動的に、刹那的に消費されるようになったってことな。


そこでは「死」も「暴力」も「性」も、同列のエンターテインメントとして消費される。


レンタルビデオ屋でお金握り締めて、血眼になって刺激を求めたあの時代は終わった。


 









【まとめ】





いつも通りテキトウに書いてきたが、こんなご時世だから楽しみながらコンテンツを観ればいい。




僕にはどうでもよくめんどくさい自分の価値観を披歴しまうクセがある。


特に若い頃は顕著にその傾向があって、考えや感情を誰かに話すたびに自己嫌悪に陥った。


「はぁ、話さなければよかったな」と。




でも師匠は僕のめんどくさい話を面白がって聴いてくれた。


彼女自身も僕が知らないカルチャーをたくさん知っていた。




そういったところで認めてくれていたから、出来の悪い自分を可愛がってくれたのかもしれない。



独立してから今まで、仕事において人の能力を引き出すことに注力してきた。


それはかつての師匠との関係が元になっている。



過去に多くの文脈を跨いで知識のアーカイブを形成してきた自負がある。


カルチャーやコンテンツに対する造詣で、相手の知性やセンスはある程度測れる。



世の中にゼロから1を産み出せる人はほとんどいない。


一方で、人とは違った見方で世界を見ることができる人はゼロから1を産み出せる人だ。




ドロヘドロと絡めてそんなことを考えた飛行機の中。






関山